安養山西楽寺(静岡県袋井市春岡)神亀元年(724)、行基が聖武天皇の勅を受け開山したとされる名刹。寛治年間(1087〜93)に六条右大臣源顕房が堀河天皇に奏上して中興し、この時造られたという木造阿弥陀如来及び両脇侍座像(袋井市文化財)、木造薬師如来座像(静岡県文化財)を伝えます。室町時代以降、広大な寺領を領有し隆盛をきわめていたと言われますが、戦国時代の戦火によってことごとく焼失し、現在の本堂は江戸時代中期に数十年の長い年月をかけて建立されたもの。歴代の武将たちの祈願所であった寺としても知られ、今回の解体修理に合わせて行われた調査により今川義元や豊臣秀吉、徳川家康などから寺領を寄進された文書が発見されています。本堂は明治時代に宝形造、桟瓦葺に造りかえられ、昭和55年(1980)に静岡県文化財に指定されています。
明治時代の修理によって本来は瓦葺きでない建物に瓦を葺いたため、近年はその重みで軒先が垂れ下がり、小屋組などの傷みも激しくなっていました。向拝は昭和62年、瓦葺きから銅板葺に修理されましたが、部分的な修理では保存につながらないとして、全体的な保存修理事業に着手したのです。なお、今回の修理に伴う調査で明治時代の修理の際保存されたと思われる本堂の妻飾、縣魚、桁隠しなどが発見され、これをもとに明治以前の本来の姿に戻すための復元作業も合わせておこないました。
全体に傷みが激しくなっているほか、軒先が瓦の重みで垂れ下がっているのが見てとれます。
周囲に足場を組み、手作業で、瓦の葺き土、杉皮下地、野地板の順に解体します。
小屋組に取りかかります。解体が進むにつれ、野地板や梁の腐食が新たに発見されます。
明治の修理で隠れていた虹梁(こうりょう)を復元します。本屋と庇をつなぐ役目を持つ虹梁が復元できたことで、屋根本来の姿が再現されました。
本堂全体の歪みを直し、古材を可能な限り元に戻し、腐食部分のみ防腐剤を塗布した新材で取り替えます。なお、この部材には今回の修理の記録を伝えるため「平成4年度修補」の焼き印をします。
本堂の修理と並行して、保存されていた妻飾を熟練した職人の手で復元します。
小屋組の復元が終了した時点で、棟木の取付と棟上式が行われます。
鬼板師により鬼瓦を復元し、棟瓦を製作します。資料がないため紋様は入れずに復元します。
建立時と同じ、こけら葺きに復元します。
並行して向拝屋根の復元を進め、むかい唐破風の微妙な曲線に軒付を積みます。軒付が終わると軒先から棟まで一気にこけら板に葺き上げます。長さ30cmほどのサワラ材のこけら板を竹釘で打ち止めます。
復元された鬼瓦と棟瓦を取り付けます。
足場がはずされ、修理復元作業はすべて終了。ほぼ100年ぶりにこけら葺きの優美な姿を現します。
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